不登校はじまりの、きっかけ

不登校と私(母)

今から約5年前、息子が当時小学4年で、娘はまだ小学1年。

このころの息子は、学校も友達も勉強も嫌すぎ(たぶん親のことも)で、日を追うごとに登校拒否反応が激しくなっていってました。

元々ゲーム大好き男子でありました。

息子にとってはゲームをしているときだけが唯一の楽しみの時間。

夢中になれるゲーム中は、嫌なことを考えなくてすむから、のめり込んでたのでしょうね。

 

宿題もやらず、約束した時間も守れず、怒られても怒鳴られても、ゲーム機を絶対に手放そうとしません。

こうなってくると親もヒートアップして、ゲームを止めさせるようにとムキになります。

 

ある日、ゲームを止めさせようと必死になった私。

ソファーの上でもみ合いになりながら息子のゲーム機を力ずくに奪い取りました。

このあと私が一生忘れられない言葉を、息子は言います。

 

「そんなに怒るような価値のない僕なら殺して!包丁持ってきて!」

今でも心が痛みます。

めちゃくちゃ泣きはらした息子。

よく泣いてはいましたが、このときの必死さは真剣そのもの。

「辛い気持ちを分かってよ!!」とも叫んでました。

 

頭の中を殴られたような感覚を、覚えています。

息子はこんなにも追い詰められてるんだ。追い詰めてるのは私なんだ。

なんてことを言わせてしまってるんだろう。と。

ただ単にゲームを取り上げたからと言うセリフなんかじゃない。

これは息子からのSOSなのかも。

私の今までの考え方が変わるきっかけの出来事でした。

ゲームが楽しくてやりたいだけ」だと思ってました

でも、「心が休まる時間だから、ゲームをしていたい」だったんです。

 

ゲームをしているときだけが、唯一の安心できる時間だったのかなと思います。

確かにこの頃、私と主人は息子をなんとか学校に行かせたくて、

車に無理やり乗せこんで学校に送り込んだり、宿題をさせたくてゲームをご褒美にして息子をコントロールしようとしたり。

宿題をしないことに何時間も説教をしたり。

今思い出しても、この頃の息子に対して叱ったり怒ったりだけで、

褒めてあげた記憶が全くありません。。。。

このときにもっと早く息子を受け入れてあげてたら、違う今があったのかなと思いますし、

後悔でしかないです。

だけど!不登校になってしまったものは仕方ない!

何か意味があるんだ!

と思えるようになるのは、まだまだ遠い先のお話です(汗

 

不登校のはじまりはじまり

怒られたり注意を受けるたび「死にたい」や「殺してくれ」しか言わなくなってしまった息子。

暗い表情ばっかりで、あんまり笑わない。

ゲームを取り上げても無表情になってしまう。

 

SOSなんだ、いまの息子には、お休みが必要なんだ。。。。。

と思うしかなかった。

決断をして、

小学4年の3学期から完全不登校となりました。

それから長い不登校生活が始まります。

 

 

くらーーーい内容で、ごめんなさい。

でも辛くてしんどい不登校生活を経験してきたからこそ、ちょっとしたことで、幸せを感じられるんです。

幸せを感じる感度がめちゃくちゃ上がりまくりです(笑

靴を履いて外に出かける、、、、、そんな当たり前なことが、めっちゃくちゃ幸せだと感じます。

引きこもって人目が怖くて、朝方までゲームしていて

どうしようもなかった子供たちと、悩みまくったあの頃があったからこそです。

 

 

いま不登校のはじまりでいちばん不安な時を過ごしている、お母さんお父さん。

子ども達は生きてるだけでOK!

悩んでる親もOK!

希望の光が見えてくるときが絶対にやってきます。

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